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短いチョゴリとふんわりとしたスカート、韓服の美を生かした「ファッション革命」

短いチョゴリとふんわりとしたスカート、韓服の美を生かした「ファッション革命」

Posted January. 27, 2025 08:39,   

Updated January. 27, 2025 08:39

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最近は、舊正月でなくても韓服の著こなして古宮を訪れる人が増えている。韓服の優(yōu)雅さは言うまでもないが、特に多くの人々が美しいと指折るのがスカートの豊かさだ。北東アジア歴史財(cái)団が最近発刊した「韓國服飾文化史」に載せられた投稿「朝鮮後期の女性ファッションと美しさ」(韓國學(xué)中央研究院伝統(tǒng)韓國研究所のイ?ミンジュ研究員)を通じて、私たちが知っている韓服のスカートとチョゴリがどのように登場(chǎng)したのかを覗いてみた。

韓服のスカートを見るためには、まずそれと対をなすチョゴリの変化を見なければならない。イ氏によると、朝鮮後期になると、女性のチョゴリは長(zhǎng)さが極度に短くなり、袖口は狹くなって腕のラインを現(xiàn)している。このようなチョゴリは、儒學(xué)者の目には「憎らしい服」に見えた。李德懋(イ?ドクム、1741~1793)は、『青莊館全書』にこう書いた。

「袖に腕を通すのが非常に難しく、一度腕を曲げると縫い目が破れて、ひどい場(chǎng)合は腕に血が通らず肉が膨らみ、脫ぐのが難しかった。それで袖を切って脫いだのだから、どれほど憎らしい服なんだろう」

しかしイ氏は、「このような服が、老弱と身分を問わずに拡散したのは、誰もが認(rèn)める美しさがあったためだろう」と見ている。

チョゴリの長(zhǎng)さが短くなり、スカートは自然に胸の上に上げて著るようになった。その中に著込んだ下著は、スカートを膨らませる効果があった。女性性を強(qiáng)調(diào)した「下厚上薄」型の新しいチマチョゴリのスタイルが誕生したのだ。

このようなスタイルは、これまで韓國人が著用していたチマ?チョゴリとは全く違っていた。高句麗以降、朝鮮初期まで、チョゴリの長(zhǎng)さはお尻まで下がり、スカートは腰に巻いて著た。イ氏は、「17~18世紀(jì)に、歐米で女性性を強(qiáng)調(diào)したスタイルが流行したのと似た流れの中で、韓服のスカートもやはり著裝法が創(chuàng)意的に変わった」と説明した。

胸の上に上がって下がるスカートの先を押すために腕が不便になると、これを補(bǔ)完するためにベルトを使った。スカートの色は概して青色だったが、チョゴリの下にスカートの色と対比される白色のマルギ(帯狀の布)を広くつけて、腰を強(qiáng)調(diào)したりもした?,F(xiàn)代で言えば、「ハイウエスト」スタイルで、足が長(zhǎng)く見える効果を出したことになる。

數(shù)年前から、一部の中國人は、韓服を「漢服」と呼び、チマチョゴリまでが中國の明の服だと強(qiáng)引に主張している。これに関して、イ氏は、「中國は、深衣(春秋戦國時(shí)代に登場(chǎng)した上衣と下衣が一つにつながった服)のワンピース型と襦裙(上著に襦、下衣に裙を著る方式)のツーピース型が共存したが、清の時(shí)にチーパオを著て再びワンピース型に発展した」とし、「一方、韓國は三國時(shí)代以降、ずっとツーピース型のチマチョゴリを著用していた」と指摘した。

イ氏はさらに、「服飾は常に息づく文化的産物だ」とし、「長(zhǎng)年同じ地域に住んでいた人々とその地域で生産される織物を基に、當(dāng)時(shí)の人々の美意識(shí)を反映して形成された服飾こそ真の『伝統(tǒng)』として位置づけられるだろう」と付け加えた。


趙鍾燁 jjj@donga.com