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カーター元米大統(tǒng)領(lǐng)が100歳で死去、「最高の元大統(tǒng)領(lǐng)」

カーター元米大統(tǒng)領(lǐng)が100歳で死去、「最高の元大統(tǒng)領(lǐng)」

Posted December. 31, 2024 08:41,   

Updated December. 31, 2024 08:41

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「最高の元大統(tǒng)領(lǐng)であり、平和の仲裁者」

ジミー?カーター元米大統(tǒng)領(lǐng)(1977年1月~81年1月在任?寫真)が29日(現(xiàn)地時(shí)間)、ジョージア州プレーンズの自宅で死去した。100歳だった。

カーター氏は在任中、中國とのデタント(緊張緩和)を主導(dǎo)し、イスラエルとエジプトの和平交渉を仲裁した。しかし、1979年にイランの「イスラム革命勢力」が駐イラン米大使館に米國人52人を444日間拘束した人質(zhì)事件、オイルショックによる高物価や低成長などで再選に失敗した。

在任中は「米國史上最も人気のない大統(tǒng)領(lǐng)」という汚名を著せられたが、退任後は民主主義や人権保護(hù)、貧困撲滅などに盡力し、「最も尊敬される元大統(tǒng)領(lǐng)」「望ましい元大統(tǒng)領(lǐng)のロールモデルを提示した」と評価された。特に、北朝鮮、キューバ、ボスニアなど紛爭地域を訪れ、平和を強(qiáng)調(diào)した功績で2002年にノーベル平和賞を受賞した。

韓國との縁も深い。1979年に韓國を訪れた際、樸正熙(パク?ジョンヒ)元大統(tǒng)領(lǐng)に金大中(キム?デジュン)元大統(tǒng)領(lǐng)など維新體制に反対した在野の釈放を求め、在韓米軍の撤退にも言及した。また、金氏が80年代初めに新軍部政権下で死刑を宣告されると、救命運(yùn)動(dòng)にも乗り出した。

特に、北朝鮮の核危機(jī)で韓半島の戦爭の可能性が取りざたされた94年6月、平壌(ピョンヤン)を訪れ、北朝鮮の金日成(キム?イルソン)主席(當(dāng)時(shí))と北朝鮮の核凍結(jié)などを話し合った。北朝鮮と米國は同年10月、スイスのジュネーブ合意を通じて第1次核危機(jī)を収束させた。

カーター氏は退任後、「ハビタット(住居建築活動(dòng))」に30年以上參加するなど、人権、奉仕活動(dòng)も行った。歴代米大統(tǒng)領(lǐng)の中で最も長壽だったが、皮膚がんの一種であるメラノーマ(悪性黒色腫)などで昨年2月から自宅でホスピスケアを受けていた。

バイデン米大統(tǒng)領(lǐng)はカーター氏を「偉大な米國人」と稱え、國葬を指示した。これにより、30日間、米國內(nèi)外の官公庁で弔旗が掲揚(yáng)される。また、來年1月9日を「國家哀悼の日」と定め、カーター氏を追悼することを決めた。


申晉宇 niceshin@donga.com